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2000/6/14

No.1 人生は思考の結果である。

多くの人達は、自分の運命・未来が気になり、関心をもっていることでし ょう。気になるが為に、いつの時代も占いが流行るのでしょうね。しかし ながら、自分の未来は貴方が意識的であれ、無意識であれ貴方自身が 創造した結果を体験することになるのです。つまり貴方の思考の結果な のです。自分の未来が気になるのであれば、今、自分が考えていること を深く見つめる必要があります。

貴方の思考は貴方が選んだ感情によって生み出されるものです。例え ば、いつもいつも何かにつけ怒っている人は、怒れる出来事があるから 怒っているのではなく、人間の持つ数ある感情の中から怒りという感情 を主体的に選んでいる為、(もちろん自分が選んでいるのだということす ら気付いていない人は多いのですが。)怒れる出来事が自分の身に起 き、そしてそれによって怒れる様に考えがすすめられていくのです。

運の出来あがるシステムは、出来事が先ではなく、自分の感情(在り方) が先なのだということを知って下さい。すべての出来事は突拍子もなく 起こっているのではありません。起こるべくして起きたといっても過言で はないでしょう。それが貴方にとって嬉しいことであれ、悲しいことであ れ。重要なのは、起きた出来事ではなく、そのことから貴方が何を学び、 何を体験し、そして今後の為に在り方を選び直して次にどんな出来事を 起こさせるかということです。

ずっと怒りを選びつづけていれば又、充分に怒れる出来事が起こること でしょう。ずっと不満を選んでいれば、やはり不満に思えることを体験出 来ることでしょう。つまり、自分が選んだ感情は必ず体験出来るのです。 口では幸福になりたいと言いながら、選んでいる感情は幸福感とはほど 遠い感情を持っている人は本当に多いのです。

人生は貴方の望んでいることの結果ではなく、考えていることの結果な のです。つまり、貴方の望みが出世だとしましょう。「出世をしたい」と思 った時点から、出世出来ない自分を考えていれば(これは在り方が不 安を選んでいるからこの様に考えてしまうのです。)あるいは出世後の 自分がどこまでやれるのかと思えばやれない自分を考え不安に浸り、 現実に起きてほしくない事を体験してしまいます。

誰しも興味のないことは考えつきません。人は皆、自分が幸福になるこ とを願い、それを望みますが、皮肉なことに望むがゆえに、望みが叶わ ない時の自分に思いを廻らせているのです。在り方が満足感や喜びを 主体的に選んでいる人は、何かを望んだと同時にそれが現実になるこ とに興味をもつ為、そのことを考えているのですから、やはり満足な結 果を体験することでしょう。貴方の現在の思考は、貴方に明日の未来を そしてもっと先の未来を送り届ける重要な鍵を握っているのです。

思考はエネルギーであり、そのエネルギーが出来事として具現化する のです。私が人の未来を見るとき、その方の思考(エネルギー)を感じ 取りそれが画像となって私に見せてくれるのです。思考の基になってい る在り方(感情)は、大きく分けると愛と不安の二つに分かれます。下 記に一部を記しました。

愛の感情とは :勇気、正義、信念、信頼、感謝、自信、優しい、楽 しい、情熱、 怒り(理不尽な事柄に対して、 正義 感から発する怒り)満足感憐れみ、気高い、思い やりなど

不安の感情とは:逃避、疑念、心配、ひがみ、恨み、不満、悲しい、 不足感、 怒り(不満や恨みから発する怒り)妬み、 恐れ、劣等感、優越感、不安、苦しみなど

貴方はどの感情を主に自分に選ばせていますか。そして、どんな思考 を生み出していますか。これらの感情は、決して他人や出来事が選ば せたことではなく、貴方自身が選んでいるのです。

2000/6/26

No2優越感と劣等感

今回は人間が頻繁に浸りやすい感情の一つ「優越感」についてお話し したいと思います。NO,1で愛と不安の感情をお話ししましたが、それ ぞれの感情を選んでいる時、自分はどのような状態になるのでしょう。 一言で言うならば「不安」の感情を選んでいる時は何かすっきりせず、 イライラもやもやした状態、「愛」の感情を選んでいる時は、楽しく、心 地良い状態と言えるでしょう。しかし、楽しく心地良い気分になっている 状態でも、実は「愛」の感情ではなく「不安」の感情を選んでいることが あります。

その感情の代表的なものが「優越感」という感情です。この優越感とい う感情は不安からの感情であるにもかかわらず、自分のことを楽しく心 地良い気分にさせてしまう感情なのです。では「優越感」というものはど ういう感情なのか又どういう時に感じるものなのでしょうか。

「優越感」とは、一言で言うならば、自分が他よりすぐれていると思い込 むことによって得る快感(得意に思う心)を意味しています。つまり、他 者と自分とを比較することによって生じる感情です。

(例えば) ・友達より自分の方が賢い。 ・・・・・・・だから嬉しい。 ・あの人よりも自分の方が幸せ。・・・・だから嬉しい。

まさに優越感からきている感情です。ところが実際は、自分よりあの人 の方が賢かったり、又は自分よりあの人の方が幸せだったりすることも あるわけで、事実などはどうでもよく、自分の勝手でどのようにも思い込 むことができる、実に不確かな感情でもあります。 「優越感」の反対の 感情は劣等感ですが、これも他者と自分とを比較して起きる感情で、優 越感と同じく不確かな感情です。

優越感に浸りやすい人は、又劣等感にも浸りやすいのです。

何故だかわかりますか?それは、いつも自分ではなく「他人を中心に物 事を考える人」だからです。こういう人は結構多いようですね。いつも他 者の目が気になって仕方ない人です。自分は、他人にどう思われてい るか、どう映っているのかばかりが気になり、その為シーソーのように優 越感や劣等感といった感情を通して、一喜一憂しているのです。

人間はすべて自分自身を創造し、 自分自身を体験する為に生まれてき たのです。他人の承認を重要事と捉え、必要とする限り、貴方は他人の ものです。自分の人生に於いて、他人の承認を必要としなくなったとき、 初めて自分が自分のものになるのです。

優越感は心地良いのだから愛からの感情だと単純に考える人はいます が、心地良くなったところで、それは他者を自分より下に見ることによっ て感じているわけですから、そんな感情が愛のはずはありません。又、 劣等感も他者より自分を下に見て落ち込むわけですから、これも愛では ないのです。 劣等感とは自己否定から生ずる感情であり、自己を否定 する限り、他者に対しては尊敬の念よりも妬みや憎しみが増していく一 方なのです。自分のことが肯定できない人間は他者のことも受け入れ、 愛することが決して出来ないので す。

愛は、それだけで愛なのであって、自分の尺度で他者と比較して 喜んだり、悲しんだりするものではありません。

自分が如何に尊く、この世の中でたった一人しかいない、かけがえのな い存在とわかっている人にとっては、他者より自分が優れている、又劣 っているという事を考えること自体、全く無意味なことです。 それは、他 者を中心に置くのではなく、常に自分を中心に置いて、自分の人生を 生きる事が大切なのだという事を知っているからです。この自分を中心 に置く事が、つまり優越感や劣等感といった不安の中にある感情を選 ばないことになるのです。

優越感という感情は、一見とても自分のことを心地良くしてくれる感情な ので、それが不安の中の感情から来ているものだということに自分で気 が付きにくいというのが問題です。しかし、本当のところは、それは錯覚 にすぎないのですから、自分をよく見つめれば、今自分が感じている心 地良い感情が、愛からのものなのか、不安からのものなのか知ることが 出来るはずです。その為にはしっかりと自分を見つめることが必要なの です。

2000/7/29

No.3「信じる」は「信じない」の始まり

「あなたを信じています」「自分の明るい未来を信じている」「神様を信じ る」「こうなると信じる」等々、人間は何かを信じてそれをパワーにして生 きています。だからこそ信じられないことが信じることよりも増大すれば 生きていく上で支障をきたし気力をなくしていくということになるわけで す。よって、「信じる」とは愛からの感情と思う方は多いことでしょう。とこ ろが何かを信じるのは根底にあるものが不安だからなのです。「信じら れますか?」不安を打ち消そうとして「信じる」を選んでいるのです。

それは、ガラス細工の様にもろく、もろいからこそ信じていたものがある 日突然信じられなくなった経験は多くの人がしていることでしょう。「その こと」や「そのひと」の真実はひとつしかないのに、自分の見方が変わっ てしまうから信じたり信じられな くなったりするのです。

「信じる」ことがいけないと言ってるのではありません。ただ、もろく「信じ ない」にいつ変わってもおかしくないものであり、愛からではなく不安から の発信であるということです。貴方にパワーを与えるのは、「信じる」では なく「わかっている」ことです。 これほど強力で安心なことはありません。 「わかっている」はどこまでいっても決して「わかっていない」にはなりませ ん。オレンジジュースの味をわかっている人がも しかしたらこれはトマト ジュースかもしれないと疑い始めることはないのです。自分が人間だと わかっているのに、もしかしたら猿かも・・・などと考える人もいません。 もちろん「わかっているつもり」の人は話しが別ですが・・・。

あたり前のことですが、あたり前だからこそ信じる、信じないという発想 にならないのです。わかっていないからこそ「信じる」か「信じない」かの 2つの内のどちらかになり、「信じる」を選んでも根底にあるのはわかっ ていないという事実なのです。

「人生は思考の結果である」と信じたとしても、信じた通りの結果が体験 できるとは限りません。「人生は思考の結果である」とわかり、自分の根 底にある思考もわかっていれば、貴方の思惑通りの人生が歩めること でしょう。

「わかっている」とは、それ自体がパワーなのです。そして人は皆、本当 はすべてをわかっているのです。それを思い出そうとして思い出したか、 わからないと決めつけて、あるいはわからないふりをして思い出してい ないかのどちらかなのです。

2000/9/13

No.4 人生は結果にあるのではなく「今」ここにある

人は皆、この世に自分自身を創造する為に生まれてきています。出来 事にただ「どうなるか」と反応しているだけを創造することも出来れば、 これから「どうしたいのか」「どうなりたいのか」を明確にし、それを創造 していくことも出来るのです。他者や世間の事ではなく自分自身の未来 について「どうなるのか」というまるで人ごとのような思考癖を持ってしま うのは、人の運命は大まかにでも決まっている、つまり宿命(人間の意 志では変えることが出来ない運命的なもの、前の世から定まっている 運命。)があると考えているからそういった発想になるのでしょう。

すでに出来あがっている人生の脚本を実体験するために人はこの世に 生まれてきたのではありません。自分で自分の人生の脚本を創造し、 それを体験する為に生まれてきたのです。その体験を通して自分は何 者であるか、何者で在りたいかを決定していく権利を生まれながらにし て持っているのです。 もちろん宿命という幻想を持ち出してそれに怯え、 不安に反応していくことも体験出来ますが。人間は存在しないものまで 創り出してそれを選んで体験出来るのですからすごいですね。

誰かが創造した「宿命」を自分が選んで取り入れれば、それに怯え、縛 られ、反応的に生きていくことを経験することでしょう。宿命ばかりでなく 誰かが創造したことを 信じ込み洗脳状態で生きていては本当の自分自 身をいつまでたっても経験することは出来ません。自分の選んだこと(考 え)や、選ぶことが自分にとって役に立つのか、 立たないのかを見極め る必要があります。

「役に立つ」とは「利益になること」ではありません。「利益」や「不利益」 を中心に考えを進めていく人はそれこそその人にとって役には立たない 結果が遅かれ早かれ出るでしょう。利益、不利益は創造ではなく、人が 創造した結果に出るものです。貴方の創造した結果とは、ほったらかし にしていても必ずその都度出るものです。

どのようなことでも結果を最初に気にして創造していくことは、すでに不 安に陥りやす く、結局「不安」を創造していくことにつながり「不安」を的 中させる結果を経験します。人は一瞬一瞬に選んでいること(無意識で も意識的にでも)の結果を体験しているのです。貴方の行き着く所は、 今の貴方の考えなのです。考えが変更されれば行き着く所も当然変わ るのです。

貴方が現在体験していることは全て貴方が生み出しているものですが、 この事が理解出来ない為(又は理解したくない為)多くの人は他人や宿 命のせいにするのでしょうね。自分以外のせいにしている限り自分の人 生の目的を失うはめになりますからご注意を。

2000/11/11

No.5 今の貴方は本当の自分か?

生命あるものは必ず時が来れば「死」を経験します。死は「亡くなる」で 「失くなる」につなげて考えがちですが、私達が「失くなる」ことは決してな いのです。私達は精神と肉体と魂で出来ています。死後も精神と魂はち ゃんと残っているのです。肉体も完全に消滅するのではなく、これも又、 姿、形を変えて再生されるのです。ご承知の方も多いでしょうがこれが 転生です。

私達はもうずっと何回もこの転生を繰り返してきました。真実の自分を 体験する為に・・・。そんな目的の為に何回も生まれかわるなんて何の 意味があるのか、馬鹿々々しいと思われる方もいることでしょう。では実 際真実の自分、本当の自分を体験している方がどれ程この世の中にお られるのでしょうか。本当の自分をそのまま体験することは一生涯かか っても難しいようです。一生涯では出来ないから、又生まれ変わってチャ レンジしているのです。自分の真実を体験する為に、私達は自分にとっ て完璧なシチュエーションを選んでこの世に出てきました。貴方の精神 はそれを覚えていなくても魂は知っています。

勇気をもって自分自身と向き合い、自分の見たいように自分をみるので はなくありのままの自分を見る為に効果的な自分自身発見法のうちの 一つが人間関係です。人間関係を築いていく過程で自分の相手に対す る反応、他者との比較によって自分を知るチャンスを与えられているの です。もし、無人島に一人だけポンと生まれたと仮定して、自分一人で は「男か女か」「背が高いのか低いのか」「美しいのかみっともないのか」 「聡明なのか愚者なのか」「優しいのか意地が悪いのか」「性質が明るい のか暗いのか」等々、自分がどんな人間なのかの判断が出来ません。 又無人島に一人っきりということは自分が「人間」だということすらわから ずして生きていくことになります。

しかしながら、この人間関係で悩んでいらっしゃる方はたくさんおられま す。そういった方々は自分を悩ますまさにその相手のせいだと考え、責 任は相手にあるのだと苦しみ怒りを覚えがちですが、本当は相手その ものではなく、その相手に対する「自分の反応に苦しんでいるのだ」と いうことをもっともっと自覚する必要があるのです。このことがしっかりと 理解出来る人は自分を悩ます自分の反応を変える選択をされることで しょう。どんな時にでも人は心から新しい自分を経験しようと思わない 限りそれを選択するわけなどないのです。相手を無理やり変えさせるこ となど出来ません。相手が自分を変えることを選ばない限り。

私達は一人一人が自分を知る為に他者、それも非常に多くのサンプル (人間)を与えられており、その中からどういう自分、どんな自分を創造 していくのかを選んでいます。メニューはたくさんあった方がおもしろい ですよね。そして貴方の人生に関った人は時間の長さ、濃度に関係な くすべて貴方の人生の共演者であり、自分を知る為に一役買ってくれて いるのです。もちろん貴方も共演者に一役買っているわけですが。

生まれる前から共演を約束してこの世で再会している場合も多々あり ます。ただこの共演とは自分にとって都合のいい素晴らしい相手ばか りを指しているのではありません。例えば貴方の魂(精神と混同しない で下さい。精神は今の貴方自身です。)が愛の行為である「赦す」という ことを体験したがった場合貴方にとって赦せれないと思える相手が必要 です。その人は貴方を非難するなり攻撃するなり、ありとあらゆる不快 を提供してくることでしょう。それを「赦す」ことが出来れば自分の魂の目 的を達成することになり、人生も必ず変わるのです。

ここで間違えないで頂きたいのは「赦すこと」とその相手の行為を「認 める」こととは全く別のことであるということです。赦したからといって今 後も共演を続けなければいけないということでもありません。共演を続 行するなり絶ったりするのは自由に選択出来ますし、「赦した」事実とは 関係のないことです。魂自身からすれば相手が何者で、何をしていて何 をもって、何を言って、何を要求しているかはどうでもいいのです。その 関係の中で自分が何者であるかということが重要なのですから。

人は精神のみで生きているのではなく、魂も肉体に宿っているわけで すから、自分の魂が何を体験したがっているのか耳を傾ける為には、 精神にばかり集中していてはわかりません。といってもなかなか難し いことでしょうが、冒頭に記した真実の自分を直接体験するということ は、魂そのものを体験していくことなので深く深く自分の内に入ってい くしかありません。精神の内の理性にばかり捉われていたら魂を体験 する−つまり本当の自分を体験することは出来ないのです。

自分ではわかりずらいその方の魂に私が耳を傾ける時、当人では驚 かれる程素晴らしい導きをして下さっています。いつもいつも魂は貴方 を幸福へ誘導してくれているのですが、もったいないことに精神がそれ を拒絶していることがほとんどなのです。幸福は外にではなく、実は貴 方自身が内に持っているということに気付いて下さい。

この世に生きている時に創り上げた自分の精神を来世にも引き継ぐの です。誰か他の人に引き継ぐのではありません。自分が自分に引き継 ぐのです。どこの段階の世で真実の自分に目覚めるか?それも自分で 選べれるのです。真実の貴方は素晴らしいですよ。究極の真実、人間 の本質は愛なのですから。

真実の自分を体験するには、およそ真実とは無縁の自分を体験するこ とも必要なのです。愛は不安があるからそれが愛だとわかり、真実は 偽りがあるからそれが真実だとわかるのです。全ては「それだけ」では それが何かはわかりません。私達が人間だとわかるのは人間以外の 生き物がいてくれるからです。表だけでは表はなく、裏だけでも裏はな い。表裏一体で始めて「表」と「裏」の存在が明らかになるのですから。

2000/12/31

No.6 理性と感情

人は「感情」と「理性」を持って日々考え、行動しているのですが、自分 の魂−つまり自分の真実はこの2つのうちどちらのことを指すのでしょ う。赤ちゃんには感情はありますが理性はありません。感情は自然発 生的に出てくるものであり、理性は後天的なものです。生まれてから私 達は様々なことを学んでいます。多くの知識、常識を持っている人はた くさんいることでしょう。それでも学んだことを経験していくことと自分の 真実を経験していくこととは全く別のことです。

多くの人が「自分の考え」と思っていることはほとんどそうではないこと が多いのです。自分以外の他者の考え、つまり親の考えであったり、 教師の考えであったり、世間の考えであったりするわけですが、それを 基に理性の備わった人間として成長して行きます。理性で考えているこ とは自分の真実ではありません。自分の真実は後天的に植えつけられ た理性ではなく自分の感情そのものなのです。感情だけはどんな時で も自分に正直でごまかしようがありません。

そのごまかしようがない感情を理性で考えを進めて消そうとエネルギ ーを注いだところで、やはり納得は出来ず苦しみに入っていくのは真 実(感情)はどこまでいっても真実だからです。魂に耳を傾けるにはま ず自分の感情を解放してあげることです。人前でそれが出来ないので あればせめて自分一人の時ぐらいは自分を偽らずに大声でも上げて 外に出すことです。自分の真実である感情を出しにくいこの社会にい ながらにして、(そういう社会を創ったのも自分達ですが)理性の状態 から自分を創造するのではなく、己自身の状態から創造していくことが 本当の自分を体験し、自分を知ることになるのです。

もちろん理性を全て捨てる必要はなく、又そんなことは出来るはずもな いことでしょう。暑いから素っ裸で街を歩きたいのが真実の自分でも、 そんなことをすれば自分にとって不利になることはわかっているのです から通常は実行されないでしょうね。要は理性と感情のバランスをとっ て理性に自分を溺れさせないことです。どんなに愛とはほど遠いと思え る感情が自分に湧き上がったとしても、それを否定せずに理性で自分 を見ようとせずにそのままの自分を受け入れてあげることです。

何かに抵抗すればその何かは益々力を持って忍び寄ってきます。自分 の感情に抵抗すれば、その感情は益々貴方に「これが今の私だ」と言 わんばかりに貴方の理性に抵抗してくることでしょう。今の貴方の真実 を無視せずに置き去りにせずに21世紀を迎えて下さい。貴方の人生 観、体験することが変更されていくことは間違いありませんよ。

2001/1/30

No.7 貴方の選んだことは全て体験出来るが、選んでいないことは 何一つ体験出来ないPART1

このタイトルを読んでいろいろな感想をお持ちのことでしょう。「どういう こと?」「嘘ばっかり。私は選んだことは体験出来ずに、選んでいないこ とばかり体験しているというのに・・・」、「こんな現実を選んだっていうわ け?わざわざこんな最悪なことを選ぶわけないじゃない!」等々・・・。 「選ぶ」とは貴方が自覚して選んだことも自覚せずに選んだことも含ま れ、選んだことに変わりはない為厄介といえば厄介な話ではあります。

そして例えば、コーヒーを選んだつもりであっても実際に選んでいたの は紅茶だったということがよくあるのです。「そんな人っている?」という ことになりますが、まあこれはあくまで例えです。実際の喫茶店でのオ −ダーでそんな人はいないでしょうが。

恋人が欲しい、お金が欲しい、家が欲しい、名誉がほしい、能力が欲し い、かっこよくなりたい、きれいになりたい、賢くなりたい、モテたい・・・ って選んでいるのに体験出来ないじゃないかとお怒りの方、お嘆きの方 がおられましたら、それは選び方が間違っているのだと老婆心(ちなみ に私は老婆ではありませんが。まあそんなことはどうでもいいことです よね。)ながらご忠告申し上げたいと思います。

何かを欲しがる、なりたがるを選ぶということは、その状態を創り上げ ていくのですから「欲しい」「なりたい」を経験していくことになります。つ まり、欲しい、なりたい対象を直接経験するのではなく、対象を「欲しが ったまま」「なりたいと願ったまま」を経験していき手にすることは出来ま せん。(ちゃんと選んだ通りの欲しがったままが経験出来ます。)対象が 手に入ったのならば欲しがりませんし、なりたがりませんよね。欲しがっ ている状態、なりたがっている状態を選んでおきながら全然手に入らな いと嘆いている人は多いですよ。

貴方が「最初に」選んだ状態を体験するのです。本当に欲しくて、なりた いのであれば、その対象に既になった自分をまず意識の中で置いてし まうことです。現実にその対象がまだ引き寄せられていなくても・・・。 でも、それでは自分の現在の状況に嘘をつく意識を持たせることになっ てしまうと考えられる人もいることでしょう。では、レストランで貴方が何 か欲しいものをオーダーした時、実際にはまだ目の前にオーダーした 品が来ていなくても、それを待っている間、本当にオーダーした品が自 分の元に運ばれて食べれるのだろうか?飲めるのだろうか?と不安に はならないでしょう。

それを欲しくて「注文し」、自分の元に現れることがわかっているから食 べたり飲んだり出来る自分に疑いを持つ人はいませんよね。待っている 間も楽しみですよね。運命も実はこれと同じことなのです。欲しいけれど も欲しいを選んでいて注文をしない人、欲しいから注文をする人との人 生で体験されることは大きな違いが出てきます。注文をしたつもりでい ても実は注文をしていないのでは?と自分をふり返ってみることです。

レストランのオーダーはウェイトレスさんにするものですが、自分の人生 で選択したことは宇宙(天)に波動され伝わり、それが具現化したものを 我々が受け取って体験しているのです。自分の今の状態を今後も引き 続き体験していきたくない人は選びなおされることです。ここで下記に記 したことに該当される方はちゃんと天に注文出来ていないことになりま すのでご参照下さい。

  • (1)自分の選んだことが良いことなのかどうか、前もって保障してもら いたがる人。
  • (2)何を選んでよいかわからない人。
  • (3)選んでおきながらコロコロ気が変わってしまう人。
  • (4)自分が選んだことに対して、それが現実になると信じきれない人。
  • (5)自分にとって何が最善かばかりにとらわれる人。
  • (6)結果ばかりを気にする人。

何故(1)〜(6)は注文出来たことにならないのか?は次回にご説明さ せて頂くことにして、今回も私の拙い文を読まれた方の頭が混乱されな いことを祈りつつ「おやすみなさい」を言わせて下さい。

2001/3/05

No.8 貴方の選んだことは全て体験出来るが、選んでいないことは 何一つ体験出来ないPART2

上記の(1)から(6)までは、ちゃんと天に注文出来ていないことだと記 しましたが、それは貴方の選択が現実となるまでに長い長い時間ばか りが経っていくだけになりかねないことも表わしています。人間の思考 には、「その思考に至る為の思考」というものがあります。支えになって いる思考とでも言いましょうか。

(1)に該当する人は本当にそれを選びたいわけではないといった支え になる思考を持っています。本当に選びたい時、人はそれが良いこと か?などといちいち自分に問わずにさっさと選んでいきますからね。レ ストランで注文する時、食べたい物、飲みたい物を注文されるでしょう。 このオーダーは私にとって良いのか?などと考えません。又、本当は OOをオーダーしたいけれど、ダイエットだから他のものにしようと考え たとしても「何か」はちゃんとオーダーするわけです。ところが選んだこと が良いことなのかどうかと考える人は、何かを選んだと同時に良いのか 悪いのか、という考えも選んでいるのです。その考えに答えを出すのは 自分なのですが、自分では出さずに・・・というより出せないと思い込ん でいるから誰かや何かに保障を求めたくなるわけです。そして、これで は「選んだことを何がなんでも体験する」ということは選んでおらず、信 念も出てきません。

宇宙は貴方が真剣にオーダーしたものを純粋に送ってくれますが、こ んなにゴチャゴチャと選びたいのか選びたくないのかわからない様な中 途半端なオーダーの仕方では時ばかりが過ぎゆくことになります。ウ ェイトレスさんに「ショートケーキを注文したいけれど、これは私が必ず 美味しいと感じると保障して下さい!」と言います?ウェイトレスさんは 恐くてオーダーを通せませんよね。後で何を言われるやらわからない。 結局、その人が決断して「ショートケーキ!」とオーダーしない限りは受 け付けにくいものです。もちろん宇宙は貴方に後で何を文句を言われ たとしても困りもしないし「貴方の選んだことは良いことだ」と送り返した いところでしょうがそれは不可能です。宇宙は山びこのようなもの。貴 方の考えしか反映しません。

貴方の選びたいことや考えたいことを宇宙は口出しもしなければ勝手 に無理矢理変更させることもしないのです。そんなことをしたら貴方は 貴方を創造出来ないし、貴方が存在している意味が無くなってしまいま す。貴方は自分を創造する為に生まれてきたのですから決定権は貴方 にあるのです。良いことなのかどうか保障してもらいたい・・・をいつま でも選んでいる限りは宇宙も同じものを送りますよ。つまりいつまでたっ ても答えが出ない堂々めぐりとなります。貴方が良い、悪いを判断しな い限りは答えは出ません。そして本当は貴方の選んだことに「悪いこと」 などないのです。「失敗」 もあり得ない。

失敗・成功というものはその時のその人の捉え方であり、今まで悪いと 思っていたことが後になって実は良いことだったとか、失敗だと思って いたものが成功だったとはよくあることです。それは何かを経験してい った上でわかるものであり、その人の経験の仕方が失敗・成功という言 葉を生み出していくのです。そしてこれは何かを経験してからでなけれ ばわかりません。貴方は生まれながらにして自分の人生の脚本家であ り、演出家であり、主役なのです。脚本家を辞退し、演出すら誰かや何 かに依頼して主役だけをやるのは当然不安に陥りますし、保障も求め たくなることでしょう。ヒロインである私の未来はどうなるのでしょう?幸 せになれるのでしょうか?聞きたくもなってくるでしょうね。ドラマで役を 演じる俳優は、脚本が出来上がらないことには何も演じようがありませ んが、貴方の人生は貴方が脚本を創造しない限りは貴方待ちになるの です。主役の貴方が脚本家である貴方を待っているわけです。意識し て脚本を創っていない人の方が世の中には大半です。意識をしていな くても(1)や(4)に該当する人は、受身で依存で不安な脚本を創造する ことになってしまい、それを体験するのです。

又、貴方が何かを選ぶたびに宇宙はそれに伴ってエネルギーの方向を 変えていくのです。(3)に該当する人はコロコロ選択を変えるたびに宇 宙も貴方に送るエネルギーを変更せねばならず、変更することにエネル ギーを使って貴方の元に選択したことを送ろうとした時にはすでに又、 貴方のオーダーが変わってしまいレストランに例えれば、ちっとも注文 の品をテーブルに出せない状態が続くのです。

(6)に該当する、選んだことを体験する前から結果に執着する人は映 画を観始めた時から結果ばかりに気を向かわせるのと同じであり、ビ デオを早送りして鑑賞をやめ、結果のみをわかってもプロセスを観てい ないから、何がどうなってこうなったということがわからず、結局は「結 果もわからない」ということになるのです。プロセス抜きにして結果には 辿りつけませんし、語れません。何よりもプロセスが重要なのです。

人生は一瞬一瞬を貴方が自覚して歩んでいき、今歩いている風景、状 況に目を向けた方が良いのです。今歩いている所を無視してこれから 歩く遠く(結果)に目を向けてばかりいると迷子になりますよ。自分が現 在歩いている所がわからなければ目標もどこだかわからなくなってあた り前。「私の目標は何でしょう?」などと愚問を他人に投げかけることに なってしまいます。貴方が現在歩いている道に注目すれば、花が咲き 乱れていればその香りを楽しみ、美しさを目で楽しめばいいですし、ゴ ミだらけになっていたら清掃をしてきれいにする事も出来るのです。人 生の道を一歩一歩自覚して歩くということはそういうことであり、自覚し ているから、黄色信号にも赤信号にも早く気付けるのです。貴方の道 の信号に一番最初に気付くのは他ならぬ貴方でしかありません。よそ 見をしていては落とし穴に落ちて大ケガをすることにもなりかねません。 そして宇宙は貴方を決して見放さないし、信号だけは送ってくれている のです。その信号を無視したり気付いて方向転換するのは貴方が自 由に選択出来ますが。

(2)に該当される人もけっこう世の中には多いものです。例えば、タク シードライバーが「どこに行ってよいかわからないんですけど。」なんて 言うお客さんに乗車されたら困るでしょうね。「こっちが聞きたいんです けど。」・・・宇宙もこれを返送してきます。何を選んで良いかわからない が、それでも何かは選びたいというのであれば、どこでも行き先を指定 して一歩歩んでみることです。歩いてみてつまらなければ行き先を変え ればいいのですから。(2)の人は自分の道を歩いていないからこのよ うになるのです。誰かが用意した道を歩かなくとも貴方が一歩足を前に 進めるだけでとりあえず道は出来ますよ。最初は何のへんてつもない 風景やでこぼこ道かもしれませんが、歩いているうちにこんな風景がい い、道もこんな道がいい・・・と自分から選びたくなってくるのです。貴方 の要望は貴方が選べばそうなるのですから楽しいですよ。

誰かが用意した道は勝手に舗装出来ませんが、貴方の道は貴方がど のように創り上げてもOKです。貴方の部屋の模様替えをする時は自 分のしたいようにされるでしょう。人生にそれが出来ないのは保障を求 めたり結果を求めたり、失敗するのではと不安になってしまうからです が、今日から部屋の模様替えをする様に「どうってことはないさ。壁紙 の色が気に入らなかったり、飽きたりしたら又、変更すればいい。」とい う考えで自分らしく貴方の道を歩んで下さい。この考え自体が自分らし くない!と思われる方もいらっしゃるでしょうが、あーだ、こーだと考え て結局何もしない方が貴方らしくないのです。自分らしさとは自分の道 を自分で歩まなければ出てきません。

部屋の模様替えと人生を一緒に出来ない!そんなに人生は単純じゃ ない!とお考えの方はもちろん複雑な人生を歩まれていいわけですし、 ずっと「そこ」に留まったままでもいられるわけです。要はどんな考えが 自分にアクセルを踏ませることが出来るかということであり、自分にと って「気分が良い」と思える考えは何でも取り入れてみることです。何を 「気分が良い」と思えるかによって現在の自分が把握出来るのです。実 は「悲劇のヒロイン」で在る自分に気分を良くしている人もいます。そう いう人は決して「幸福のヒロイン」は選ばないことでしょう。貴方は現在 何のヒロイン、ヒーローでしょうか?そしてそれは今お気に入りでしょう か?